「琥珀の夢」下巻

退職金と兄からもらった資金の半分を使って、衝動的に神戸から小樽まで一等船室旅をする。一等船室に乗るためには相応の服装をしなければならない。早速オーダーし、旅が始まった。船中でイギリスの公使などと親しくなるなどそれ相応の経験をする。また横浜港の規模の大きさに驚きながら将来の商売を考えたのだろう。帰ってからは赤玉ポートワインの味覚に挑戦、京都山崎にウヰスキー工場を、そしてビールに挑むことになる。ウヰスキーは原酒の熟成に5~10年を要し、その間は売り上げがないばかりか原料を仕入れ続け、原酒を寝かせる倉庫の拡充など資金が大変なので反対も多かったが一度決めたことは諦めないで挑戦し続けることになる。一方ビールは巨大な設備が必要であるが、すぐに販売できるというメリットがある。競売に出された横浜のビール工場を101万円で落札するが、のち資金繰問題で手放すことになてしまう。「琥珀の夢」はウヰスキーではなく、どうもビールのことだったようだ。のちにその夢が捨てきれずプレミアムモルツの開発にたどり着くことになる。成功までには色々な災難もあり、東京で関東大震災では、お世話になった販売店の国分などほとんどの流通先が壊滅状態になる。この時神戸から船を仕立てて東京まで駆けつけタダで援助物資や資金援助を実施する。まさに陰徳(ノブレスオブリージェ)である。幼少の頃母から教わった心掛けを実施したのだ。かと思えば先の大戦後、松下幸之助が困っているのを感じて人にしれないように黙って10万円(今では1000万以上)を包んだ封筒を渡した。この時の思いが幸之助には鳥井信治郎という人を感謝し、生涯忘れられない恩人だと思ったこただろう。のちに松下幸之助の経営ポリシーが「お客様は神様」となったのであろう。顧客が喜び、顧客が満足する、顧客に迷惑をかけない製品を供給することをモットーとしたのである。その結果日本の製品は性能に優れ、故障しないという一級品であることが世界で認められた。自分の技術屋としてのサラリーマンを振り返ってみればこのような理念のもとに、信頼性を大事にして製品開発をしてきたものだ。
しかし、自分がリタイヤーしていつの間にか20年が経過したこの頃、三菱自動車、三菱マテリアル、神戸製鋼、トーレ子会社、東芝などなど大会社が業績優先でデータ改竄していたことがバレて問題になっている。折角世界の信用を得たものをこの頃の経営者のおかげでダメにしつつある。そんな中でパナソニック社は、製品に不具合があると、自らTV、新聞で公表し回収したり、補償する心を忘れていない。幸之助氏の理念は今でも生きている。会社の経営者たるものは鳥井信治郎、松下幸之助の爪の垢でも煎じて飲むべきだ。

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