原田マハ 「リーチ先生」

陶芸を通じて日本とイギリスを結んだ美しい物語である。史実に基づいたフィクションである。
この話の主人公はイギリス人の陶芸家バーナード・リーチであり、弟子になってそれを助けながら日本で、イギリスでリーチを支え続けた沖亀乃介である。横浜の食堂ででっちとして働いていた亀乃介はこれからイギリスへ渡航しようする高村光太郎に出会う。光太郎は高村光雲の息子である。光太郎は英語を話す亀乃介を呼び、また亀乃介が描いた絵をみてその道の志があるなら自分の父光雲を尋ねよとメモをもらう。それがきっかけで光雲の書生になり働くようになる。一方光太郎がロンドンで知り合って親しくなったバーナード・リーチが光雲の家を訪ねて来る。リーチは日本語が全くわからないのに日本の芸術を勉強にいきなり飛び込んできたのである。そこで亀乃介が通訳をすることになる。このような偶然の出会いが重なって亀乃介はリーチの付き添いになり西洋のエッチングの絵画に興味を持つようになる。一方リーチは柳宗悦と知り合い、志賀直哉、武者小路実篤、濱田庄司らと親しくなり良い友達付き合いが広がっていくうち陶芸に没頭するようになる。我孫子の柳邸に窯を作り、そこで亀乃介と共に作陶に励む。火災で全てを失ったり、妻が母国の母の死に会えなかった悲しみなども重なり、リーチ先生はイギリスに帰らねばならなくなる。亀乃介は一緒についていく決心をする。その時、濱田庄司もついていく。3人で陶土探しから始まり窯作りなど苦労しながらやっと目処がつき、日本で学んだ陶芸と自分だけの独自の作陶に打ち込む。リーチの作品ははイギリスで評価されるようになる。3年が過ぎた頃日本で関東大震災が発生、濱田庄司は日本に帰る決心をする。沖亀乃介はリーチ先生と生涯を共に過ごすつもりでいたが先生から自分には君がいてもらったほうがいいが、それでは亀乃介自身の独自作品ができないので日本に帰った方が良いと諭す。亀乃介には先生と一緒にいたい気持ちと、もう一つ現地セント・アイヴスの恋人シンシアとの別れなければならない辛い気持ちがあったが帰国を決心する。帰国しても亀乃介は日本では有名にはなれなかった。しばらくはリーチ先生と手紙のやり取りもあったがそのうち大東亜戦争に巻き込まれ不通になってしまった。しかし戦後になって亀乃介の息子、沖高市が15歳になった時リーチ先生が日本を訪れた。亀乃介はすでに鬼籍に入っていたが息子と会って、リーチ先生は父のおかげでイギリスの陶芸があり、今の自分があるのだと話すうち高市は陶芸で生きようと決心する。高市は有名になり40歳のことイギリスのリーチ・ポータリー社を訪れ90歳のリーチに再会する。父の恋人だったシンシアは80歳で陶工の指導をしているという。
 心打たれる一冊であった。

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